善にさとく、悪にはうとく(2022/1/23)熊江秀一牧師

■聖書箇所:
ローマの信徒への手紙16章17~24節、創世記3章14~15節
■説教要約:
パウロは挨拶に割り込ませるように「警戒しなさい」と勧めを語る。「あなたがたの学んだ教え」に対して、不和やつまずきをもたらす人々がいる。その人々に誘惑されないようにと警告する。
彼らは、信仰だけでは不十分で、割礼や律法という行いを救いの条件と教えた。その時、キリストの恵みは軽んじられ、教会の交わりは崩れる。私たちも常にその誘惑にさらされている。
そんな私たちにパウロは、従順な信仰を持ち続け、「善にさとく、悪にはうとく」あるように勧める。「さとい」「うとい」は「ソフィアがある(ない)」である。パウロは、ただ善に対して、神が与える上からの智恵にあふれて歩んで欲しいと勧める。
その先頭を歩まれるのがキリストである。キリストは神の智恵(十字架と復活)によって悪魔に勝利された。だから「平和の源である神は間もなく、サタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれる」。それは蛇の誘惑の時からすでに約束されていた。教会はこのキリストの勝利によって、悪魔の誘惑と共に戦い、祈り合う群れである。
パウロは再び21節以下で挨拶を始める。今回はパウロの挨拶の交わりに彼の仲間たちが加わる姿である。
伝道者テモテ。ルキオはルカ福音書と使徒言行録の著者ルカだと考えられる。テルティオはこの手紙の口述筆記者である。かつて彼は奴隷であった。その場にいた一人一人の思いが重なり、ローマ教会への祝福の祈りとなる。「わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように」。
この教会の交わりは途切れることはない。むしろそれは強く、深くなる。信仰による上からの智恵を与えられ、誘惑と共に戦い、聖なる挨拶を交わしつつ歩もう。

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