初めに言あり(2021/11/28)熊江秀一牧師
■聖書箇所:
ヨハネによる福音書1章1~5節、創世記1章1~5節
■説教要約:
待降節にヨハネ福音書から御言葉を聞く。ヨハネは光の福音書と呼ばれる。「わたしは世の光」と語られたキリストが、闇の世を照らす光として到来されたことを告げる。
クリスマスは冬至の時期に祝われる。それは闇の最も深い中、光として来られたお方を祝うためである。
まず「初めに言があった」と語られる。「言」はロゴスである。これは普通使う、言葉という意味を越えて、「意志」、「物の本質」、「土台」という意味がある。
現代社会は「ロゴスなき時代」だと言われる。科学技術が発達した一方、本質が見失われ、コミュニケーションが欠乏し、人が孤立している時代である。それはコロナ禍の中でさらに深刻になっている。それはさらに言えば、神を見失った時代でもある。
その現実の中、ヨハネは、神のロゴスが、すべてに先立ってあり、それによってすべてのものが造られ、その土台になったと宣言する。
神のロゴスの内にすべてのものを生かす命があり、私たちの歩み道を照らす光がある。そしてこの神のロゴスが肉体となって、私たちのもとに来て下さった出来事がクリスマス。イエス・キリストの誕生である。
すべては神のロゴスによって良いものとして創造された。しかしこの世は罪に覆われ、闇となった。その罪の世を救うために、神のロゴスは肉を取り、人間となった。
「光は暗闇の中で輝いている」は現在形である。また「暗闇は光を理解しなかった」は「勝たなかった」(口語訳)とも訳せる。どんなに闇が深くても、闇が光を受け入れなくても、光は今も闇の中で輝き続けている。そして光は闇に勝利している。
全世界の民と共に、この命の光に照らされ、神の言キリストをお迎えし、共にクリスマスに向かって歩もう。