主のために生きる(2021/10/31)熊江秀一牧師

■聖書箇所:
ローマの信徒への手紙14章1~12節、イザヤ書45章22~25

■説教要約:
ローマ書は新しいステージに入る。教会が直面する具体的な問題に対する勧めである。

信仰の「強い人」と「弱い人」との対立があった。前者は肉も野菜も食べる一方、後者は市場の肉が偶像にささげられた可能性があるため、野菜しか食べなかった。また前者は暦を気にしない一方、後者は気にした。

パウロはどちらが正しいかということを問題にはしない。考え方の違う両者が裁き合っている現実を指摘し、受け入れ合うように勧める。なぜか。「神はこのような人をも受け入れられたから」である。「受け入れる」は、家族のように受け入れるという意味がある。家族はえこひいきをし、また自分を犠牲にして受け入れる。神はこの家族への愛によって、私たちを受け入れた。だから隣人を裁いてはいけない。むしろその人を立たせている神の恵みを見つつ、神の家族として受け入れ合うのである。

 そしてパウロは「主のために」という確信を持って生きるように勧め、宣言する。「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬ」「生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のもの」。

罪に死んでいた私たちのために主は十字架で死に、復活して生きて下さった。それにより罪に死んでいた私たちは、主と共に生きるようになった。だから私たちは生きるにしても、死ぬにしても、主のもの。主のために生きるのである。

この御言葉はハイデルベルク信仰問答の原点となった。問1「ただ一つの慰め」の答えとして「生きている時も死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしの真実なる救い主イエス・キリストのもの」と語る。

宗教改革記念日に「わたしたちは主のもの」との信仰の確信を持って歩もう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です