聖霊の執り成しの中で(2021/6/13)熊江秀一牧師

■聖書:
ローマの信徒への手紙8章26~30節
詩編139編1~18節

■説教要約:
パウロは私たちキリスト者の希望として、まず聖霊による執り成しを語る。私たちは将来の栄光と、今の罪の現実の間でうめいている。それは「どう祈るべきかを知らない」姿である。しかし神は、聖霊によって共にうめいて下さる。しかも聖霊は私たちを執り成し、助けて下さる。この「助ける」は、「一緒に」「代わって」「受け取る」の合成語である。聖霊は私たちと一緒におられ、私たちの重荷を代わり、受け取って下さる。神は「人の心を見抜く方」である。私たちが祈る前から、私たちの心の思いをすべて知っておられる。この聖霊の助けと執り成しに、うめきの現実にある私たちキリスト者の希望がある。
さらにパウロは大きな視点をもって、私たちの希望を語る。「万事が益となるように共に働く」。「万事」は良いことだけでなく、つらいことも、悲しいことも、失敗もすべてである。この御言葉は一般的な人生訓ではない。「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された」信仰者への宣言である。喜びだけでなく、悲しみも、試練も、万事は神の御手の中にあり、私たちを愛して下さる神のご計画の内にあるのである。この神のご計画の頂点はイエス・キリストの十字架である。神の御子を十字架にかけて殺すという罪の極みを、神は人間の救いのためにお用いになったのである。この神の救いのご計画を「私たちは知っている」。ここに私たちの希望がある。
「神は前もって」私たちを知り、私たちを「御子に似たものにしようと」して、「召し出し」、私たちを「義とし」「栄光をお与えになる」。
私たちは神のご計画のために先に召し出された者である。信仰の希望にあふれ、すべての人に福音を宣べ伝えよう。

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