心に施された割礼(2021/1/3) 熊江秀一牧師
「心に施された割礼」
エレミヤ書4章1~4節/ローマの信徒への手紙2章17~29節
熊江秀一牧師
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パウロは、ユダヤ人に律法という神の恵みが与えられ、それを教える使命のために選ばれたことを認めていた(17~20節)。
しかしユダヤ人の現実は律法を破り、神の名を汚すことになっていると嘆く。彼らは表面上の敬虔さとは裏腹に、神の恵みと選びを、特権階級に入れられたかのように思い上がり、異邦人を軽蔑していたからである。
私たちはどうか。この手紙はユダヤ教徒ではなくて、教会とその信徒にあてて書かれた。パウロは神の民であるユダヤ人の姿の現実を通して、神の民である教会と、私たちキリスト者へ問いかけている。
そんな私たちにパウロは語る。「内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく、霊によって心に施された割礼こそ割礼なのです」。私たちの罪の現実を打ち破るために内面から神の民となり、神の霊によって心に割礼を受けるようにと宣言する。
心の割礼のために何が大切か。それはキリストの愛と恵みに心打たれ、感動し、変えていただくことである。「その誉れは人からではなく神から来るのです」。ユダヤ人のユダは「誉れ」という意味がある。ユダヤ人を真の神の民とするのは、人の力や知恵や努力でなく、神から来る恵みである。
パウロ自身も復活の主との出会いにより回心した。キリストの愛に打たれた彼は福音のあまりのすばらしさに変えられた。
「人は感動がおこれば、驚くような変化が起こる」(太田俊雄)。
キリストと出会い、その愛と恵みに打たれ、感動する、それが心に割礼を施されることである。それを心に呼び起こさせたもの、それは自分の力ではなく、聖霊なる神である。
新しい年、キリストの愛と恵みを心に刻み、その感動と共にこの年を歩んでゆこう。