御言葉が実現するために(2020/07/12 熊江秀一牧師)*説教音声あり
「御言葉が実現するために」
詩編22章17~32節/ヨハネ19章23~27節
熊江秀一牧師
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主の十字架の時に2つの出来事が起こった。一つは4人の兵士が主の衣服を分け合い、くじ引きしたという出来事である。彼らは主の苦しむ姿を全く心に留めることもなく、その持ち物を貪った。この姿は私たちの姿である。私たちは神や、神の造られた人格や命を無視して、自分の繁栄を求めてきた。この人間の罪が主の十字架の下で暴露された。
この出来事は御言葉の実現であった。今日の旧約は詩編22編である。この詩編は「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という叫びから始まり、この人の苦難と祈りの姿が歌われる。その彼の着物が分けられ、くじが引かれたのである。この詩編は主イエスの十字架によって実現した。
もう一つは十字架の主のそばにいた4人の女たちの出来事である。最後まで主を愛し付き添い続けた4人の女たちの姿は、4人の兵士たちの姿と対照的である。この中で母マリアはどんなに辛かったことか。そんなマリアに主は、自分が亡き後、愛弟子ヨハネがあなたの子になると告げる。また愛弟子にはマリアを母として世話をするように言い残す。主は十字架の苦しみの中、自分の死によって最も悲しみ嘆く母マリアのことで心を砕いた。この主の言葉によって愛弟子と母マリアは主にある身内、家族となった。さらにこの出来事はユダヤ人と異邦人の教会が主の十字架のもとに家族として結び合わされた出来事とも理解される。主の十字架の下、ユダヤ人も異邦人も神の家族としてひとつになった。私たちは主の十字架の下で神の家族として結び合わされた。
主の十字架は御言葉の実現である。十字架の主を心からほめたたえ、神の家族として共に歩もう。