あなたはどちらを愛するか(2019/06/23 高橋真之伝道師)
「あなたはどちらを愛するか」エレミヤ書17章5節~8節/マタイによる福音書6章24節
高橋 真之伝道師
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。~あなた方は、神と富とに仕えることはできない」。この言葉によって主イエスは「あなたたちはどちらを主人とするか」ということを問うておられる。
「主人」、それは、私たちが頼りとするもののことである。私たちは神と富とのどちらを主人としているのだろうか。この二つ以外のものは主人にならないのだろうか、と考える人もいるかもしれないが、ここで使われている「富」という言葉には、財産に限らず「人間が信頼を置くもの」という意味がある。つまり私たちが、神以外に信頼を置くものがあれば、それがその人の富となる、ということである。その意味で言えば、私たちの主人は神か富かのどちらかにしかなり得ないのである。
しかし忘れてはならないのは、私たちはそもそも神を主人として生きていくように造られている、ということである。だがそれにも関わらず、人間は神様が主人であることが分からなくなってしまった。このことを聖書は罪と呼んでいるが、その罪によって人間は絶えず神以外のものを主人にしようとする誘惑に駆られるようになった。そんな私たちに主イエスは冒頭の言葉を語っているのだが、ここで大切なことは、主が「できない」と言われていることである。私たちは、神と富とに仕えることが「いけない」のではなく「できない」のである。私たちの問題は、その「できない」ことをしてしまっていることなのである。
だからこそ私たちは、続いて主がお語りになっておられることにしっかりと目を向けたい。主は「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と言われた。これらを求めることが、何よりも神を主人とするということ。そして、主は「そうすれば、これらのもの(富)はみな加えて与えられる」と言われた。
そのことを知るなら、私たちはどちらを主人とすればいいのかはっきりとわかる。つまり、私たちは神を主人としたらよいのである。この選択さえできれば、あとのものは「みな加えて与えられる」と主は約束してくださっているのだから。