祝福してくださるまでは離しません(2022/3/27)乙成仁史教師

■聖書個所:
創世記32:23~31、ルカによる福音書24:50~53
■説教要約:
ヤコブは「祝福」に対してものすごい執念を持つ人物だった。双子の兄エサウの祝福をことごとく奪い、また本日の箇所では敵か味方かわからない者と闘い、祝福の獲得を試みている。ヤコブはその闘いの最中、たとえももの関節がはずれても「祝福してくださるまでは離しません」と、そのつかんだ手を離さない。
この闘いは、まるで「闘い」と表現できるほどの熱心な神への祈りであった。ヤコブはしもべや家族を皆先に行かせ、一人で夜中、主なる神に祈り続けていた。体力と眠さの限界とが与えられ、崩れるようにしてでもまだ組んだ手を放さずに祈り続けるヤコブ。そこまでしてでも、もう数時間後に再開する兄エサウの怒りが収まっていることを祈った。これまでのさんざんな罪を悔い、神に「祝福」を求めた。
ルカによる福音書のイエスの高挙の箇所では、イエスは弟子たちに「祝福」をする。しかもその祝福はひと時ではなく、天にあげられ目で見えなくなるまでずっと続く。祝福し終わらない。それは、この会堂に集う私たちにも本物の主イエスの祝福が注がれていることを意味する。イエスとの別れ、それは祝福を通じてつながり続けるための別れであり、それゆえ、喜びをもたらす別れであった。
ヤコブは闘いを終えてヤボクの渡しを渡ると、兄エサウの怒りは収まっていた。長子の権利や地上の報酬に固執するヤコブに対し、神が真の報酬である「赦し」をヤコブに与えた瞬間である。神は私たちに赦しと愛という真の報酬を与える。すべての思い煩いを完全に主にお委ねでき全てのことが満たされる、それが神の祝福である。
「祝福してくださるまでは離しません」。私たちに注がれ続けているイエス・キリストの祝福を、神の赦しを、ともに感謝しよう。

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